白洲正子「たしなみについて」「ほんもの」を衝動買いした

大きな無印良品にふらふらと入ってみたら、そこはまるで書店だった。本屋には入ってはいけない。入ると何冊か、絶対買ってしまう・・・。

 

私は本好きの子供だった。

 

幼い頃、家には木の積木があって、表に「あ」裏に「アイスクリームの絵」みたいな木のおもちゃで、それをいつも眺めていたら、入園前に少しだけ字が読めるようになっていた。

保育園には絵本がたくさんあって、でも自由に読めるのは大きい年齢の部屋だけで、悲しかった。読める字をひろって読んでいたら、読めない字も前後の流れから読めるようになった。

家にあった本から漢字をひろってはノートに書いていた。地域のおまつりや相撲大会で、毎年ジャポニカ学習帳をもらったけど、そんなのにびっしりと書いていた。そのうち漢字も読めるようになった。例えば、「■める」と読めない漢字も、前後から「読(よ)める」なんだな、とわかる。

そうしたら、保育園のときに大体の児童書は読めるようになっていた。

1年生になって、みんながひらがなから始めているのがもどかしかった。ひまな時間は国語の教科書のはじからはじまで繰り返し読んでいた。そんなだから小学校の勉強は楽勝だった。

小学校では児童書を読みまくった。本が借りられるようになると、朝借りて、二時間目休みで読んで、お昼休みにまた借りにいって・・・。小学校の図書館のめぼしい本は読み尽くしてしまった。家に帰ってから読むのが待ちきれなくて学校の帰り道、歩きながら読んで帰った。

 

家にある本もあらかた読み尽くした。なぜか親の寝床にあった「真田太平記」も読めるところだけ読んだ。

大人になってから、池波正太郎のエッセイや鬼平にはまった。真田太平記もそうだったんだ、と記憶がつながった。社会に出てから読むと、十手社会なのになぜかサラリーマンの姿と重なってしまった。鬼平が理想の上司像すぎてかっこよすぎる。粋な着物姿で銀座をお散歩しているダンディーな池波正太郎が脳裏に浮かんでくる・・・・。

 

無印良品にふらふらと入ったら、ほぼ日手帳の糸井重里さんの書籍があった。何冊も、手に取ってみたら家に連れて帰りたくなった。一生懸命がんばっていて、ふと自分を振り返りたくなるような、そんな短い話がたくさん書いてあった。

 

「おっと、いけないいけない。今月は予算オーバー。本屋になんか入るんじゃなかった。今日は何も買わない」

でも、どんなことが書いてあるんだろう?

立ち読みするときって、こんなことを考えている。

今日のお持ち帰り(お買い上げ)は、君に決めた。

白州正子 著 「ほんもの」

「ほんもの」は、

立ち読みしていて「むぅちゃん」という銀座の女性の話のところを読んだら、続きが読みたくなってしまった。

 

「たしなみについて」もお買い上げとなった。

ぱらぱらめくっていて、この部分が気に入っている

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およそ世の中に、型にはまる、という事位理想的なことはありません(中略)型にはまらなければ、型を破ることも出来ないのです。[河出文庫 白洲正子「たしなみについて」]

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かっこいい!

この辺を読んで、思わず両方持ってレジでお会計してしまった。

 

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