5月の緑が爽やかなこの時期がすごく好き。
暑くなって夏を感じたと思ったら、1日中雨、というのがこの時期。
仕事がたまたま休みだったので用事を入れてみた。
そういえば、子育てが一応ひと段落しました。
子どもは1人は成人済。
もう1人も、定期で電車で自分で学校に通っている。
やっと昨年、「いわゆる送迎!!」が終わりを迎えた。
田舎なので、車で部活の送迎。えとせとら。
我が家は夫が外で働き、妻の私が家で働いている。
テレワークが普及し、私のようなワークスタイルの人間には、コロナの恩恵も意外とあった。
私は妊娠・出産で一旦レールから外れたあと、そのまま子育てしつつ、
フリーターのような働き方でここまで来てしまった。
最初の職場をやめた後、ほんとに再就職ができなかった。
ちょっとした派遣でさえも、ハードモードだった。
今ならわかる。いわゆる超(スーパー)氷河期だったんですね。
あそこでやめないで乗り越えていたら、今ごろどうなっていたのかな。
多分、家庭も子どもも持っていなかったと思う。
主任とか課長くらいにはなっていたのだろうか。
組織で働くって、尋常じゃないストレスがかかるよね。
結局、子育てと家庭を持つことを選んで、かつ「仕事辞めますわ、そして子育て重視しますわ」のほうに手を挙げてしまった。
選んだら後戻りはできない。
まあ、でも結婚して20年もある中には、短期間だったけれど夫が仕事をやめて私が働いたときもあったし、
これまた短期間だったけれど、私が、がっつり夫より稼ぐ勢いで外に働きに出たときもあった。
家に人がいない時間が長い。
そのとき、家の軒先に鳥が巣を作るわ、スズメバチは巣を作るわ、空気はよどみまくり。
「家に誰かいる」ことのメリットと「家に誰もいない時間が長い」ことのデメリットを思い知ったのであった。
もうそこからは割り切って、私は子育てに徹した。
というか、生活全般、子育てでミチミチになっていった。
かといって専業主婦でいいよという財力もないので、ちょこちょこ働きながらはずっと継続して今に至る。
ちょこちょこが積み重なって、いっぱい働けるようになったのが今。
時間に融通がきく裁量権のある働き方というやつ。まーこれがしんどかったのでした(現在進行形)。
どちらか片方が家庭に重きを置いた感じ(在宅でできる仕事とかにして、病気や送迎に対応できるスタイル)
そうしないと、2人を育てるのはとても無理だったと思う。
夫婦の実家はとても遠かったし、夫婦ともども、それぞれ実家の親との関係も、若干よそよそしい感じなのであった。
なんで結婚したときに何も考えなかったんだ。
どっちかの実家に近いところに住めばよかったな。
もうあとのまつり。
ミチミチの生活。金銭面では厳しかったけれど、どっちか(この場合は私)が家にいたので、何とかなった。
逆に言えば、誰かが家にいてくれて、子育てに重きを置いた生活スタイルをしていたら、とても優しい時間が流れるのだと思った。
あとで思い返せばそうだっただけで、結果論でしかないのですが。
誰でもいいと思うけれど、誰かがイレギュラーに対応できる形がないと、子育てって、無理だったなと思う。
すっかり忘れていたけれど、喘息キッズだったわ。
普通に健康に成人したと思っていたけれど、勘違いでした。
園児の頃、風邪の引き始めの対応を間違えたら「即入院」なのであった、喘息キッズって。
例えば5月の今頃を振り返ってみますね。
18年前・・・夫の趣味の釣りに行く。寒い。子ども(上の子)は未就園児。
車中泊をしていた。
夫のストレス解消がバス釣りだったのですね。
今も行っていますが、最近は、なぜか近所で済ます日々。
今こそ、車中泊で行っていいんだよ!子どもも妻もよろこんで送り出すし文句もないのにな。
今更だけど、休みとなると、子どもといろいろ思い出を作ろうとする夫。
15年くらい前にやってほしかったぞ笑
15年前というと、アラサーの夫婦。遊びたいよねえ、しょうがないか。
バス釣りで県外に行かせてくれ!泊まりで、とか言っていたな夫。
私も、独身の友達が旅行や飲み会で遊べるのがうらやましかった。
あれから15年?20年?30分でサクッと近所のバス釣りスポットに子どもと行く夫。
近場にあるんじゃん笑
若いときの私は、なんで車中泊を受け入れてまで夫の釣りについていったのかな。
帰り道に何か楽しいことがあると思っていたらしい(期待しては裏切られて喧嘩したよね〜)
それではその次の年、17年前の今日の日記を見てみましょう。
やっぱり雨です、しかも嵐・・・上の子は喘息気味。咳が出れば、お医者通いの日々。
下の子が生まれたばかりや。咳が出ても赤子がいるのでお医者さんにも通いづらい。
町医者の先生が、多めに薬を処方してくれていたので助かる。
強めの薬を多めに出すとか。本当はよくない行為なのだろう。
おじいさん先生ならでは。休日当番医で違う先生のところへ行くと、強い薬は出してくれないので困るのであった。
若い先生ほどその傾向があった。
おじいさん先生は、人を見て対応を変えていたと思う。
強くてバシッと効く薬を処方してくださる、近所のおじいさん先生の存在がありがたかった。
先生のおかげで、喘息、即入院という轍を何度か回避できたと思う。
赤ちゃんの下の子がいたり実家が遠かったりする私としては、自然派で抗生物質など飲まさず、ゆっくり治すスタイルが良いことは知っていても、
おじいDr.の「多めに薬出しておいたぞ。あやしくなったらお守りで飲みなさいね(自己責任)」スタイルがありがたかった。
薬剤師さんに「昔の先生の処方って感じだね〜(苦笑)ああ、〇〇Dr.か」と言われていた。
でもありがたかった〜、だからあえてその先生のところに通っていました。
そうだよ、5月、この時期はだいたい、小さい子って熱を出すんだった。
この時期はほんとそう。
さすがに母に来てもらった年もあった。
それにしても、母に泊まりにきてとヘルプ要請し、子育てを手伝わせたのは、20年来の子育ての中で、数日くらい。
ほんとに困ったときだけ。遠路はるばるだから、呼ばないと来ないスタイル。
そんなうちの子たちは、反面教師にしてくれそうだ。
実家から遠いと子育ては大変だぞ。
私は5月ごろ、体を空けておくようにしよう。
もしうちの子どもたちが困ったら行けるように。
今日、思ったね。
ちなみに、子どもたちには恋人すらいない現状なのにね。
2023年現在、今日の仕事やら用事やらこなしつつ、遅くなったのでスーパーで夕飯を買い物し、
子ども(高校生)に「ご飯炊いといて」「は〜いOK」とLINEで連絡をかわし、
UNIQLOやら買い物やら、眼鏡を作ったり・・・と自分の好きなように動いて遅く帰り、
さっさと夕飯を食べ。
お風呂に入って。
「あー、今日も忙しかった、疲れた〜」とチューハイ片手にのんびりしています。
明日も重たい仕事だ。
昔の日記を読んでいたら、5月はあまりにもお医者通いしていたことを忘れていた。
日記を振り返ったら、5月は寒いしストーブつけたとか、あとは公園に連れて行ったりしていた。
そうそう、子育てサークル関連で、行政の会議になぜか出る、あて職の役員を押し付けられてヒイヒイしたり。
ひたすら遠足の時期であったり。
そんなことを10年日記から振り返って懐かしく思ったのでした。
戻りたくはないけれど、やさしい時間が流れていた。
子どもは一応、「マミー、マミー」と、一定の距離を保ちながらは接してくれます。
幼い頃のように、ウザ絡みすると怒られます。
そう、うざ絡み?ダル絡み?が許されるのは幼児期のみ。
あのころ、対価は大きすぎたけれど、仕事をやめてフリーターみたいになって、子どもに向き合う日々だったのは後悔はしていない。
ぐだぐだになってしまったけれど、5月はご自愛しましょう。
おしまい。
20年ほど前、仕事のキャリア形成をすっかり諦めて子育てしていた私の日常を、10年日記で振り返ってみました。
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